2011 - 2012 会長 串田 武久
私の昭和の終焉(9月第1例会の挨拶より)
私は毎日「暑い、暑い」とつい口に出しながら過ごしております。しかし、東日本大震災の傷跡が癒えぬ中、新聞やテレビで被災された方々の生活状態を見聞すると胸がしめつけられる思いです。国難から一日も早く復興されることを祈るばかりです。毎日を安全に暮らせることに私は感謝し、元気をなくさずがんばって生きてゆかねばと思っています。
今年の8月は66回目の「終戦の日」を迎えた。当時の私は、国民学校の1年生であった。その朝、父からお昼に大事なラジオ放送があると言われ、東京から疎開していた人達と一緒に茶の間に置かれた真空管の乾いた声を皆で聞いた。後になって知らされたが、それが「玉音放送」であった。疎開していた人達も東京に戻り、姉に連れられ弟と東京に行った。上野駅は昔と大きく変化はしていないが、今でも、地下鉄に通ずる階段を通る度に、私と同じ年代の人達が、帰る家を失った人々が居た事を、今でも思いだし、戦争は絶対にあってならないと強く思っている。何もない時代と言われ、「外食券」で食べた地下食堂の味と、隅田川が未だきれいな時代の「しょぱさ」の味が今でも忘れられない。
今年の夏は、今まで果たせなかった広島の平和記念式に行く事ができた。これまでも何度か仕事で、新幹線での広島への訪問をしたことはあったが、空路での訪問は初めてであった。晴天で空から見た広島は、みどりの山々に囲まれた美しい盆地であった。66年前も、晴れた暑い夏の美しい日であっただろうが広島に続いて長崎への悪夢と終戦を、私達は決して忘れてはいけないと痛切に感じた。敗戦のどん底から立ち上がって66年、今世界の経済大国と言われるまでになった日本。今、私達は混迷を続ける政治経済のもとで生活をしてきたが、突然、急激に大震災に襲われた。復興への先が見えない中で、立ち上がろうとしている被災者と、物心両面から支えようとする人達が、今こそ日本がそして心がひとつにならなければという気運を私は強く感じる。国難から一日も早く脱却し、日本の新たな復興を成し遂げられるよう念じている。
広島の被爆66年式典の、こども代表による「平和への誓い」で、「未来をつくるのは人間です。喜び悲しみを分かち合い、あきらめず進めば、必ず夢や希望が生まれます。私達は、人間の力を信じます。」私も未来を信じている。
今でも私は、昭和86年と昭和をベースにして考えている。私にとって原爆が街を焼き尽くしたあの日から66年を、私の昭和の終焉としたい。
平成23年 夏
串田 武久